1972年5月15日、戦後27年目で米国統治から日本国本土復帰がなされちょうど50年の節目に当たります。しかしその後の歴史は決して沖縄県民にとって満足のいくものとは到底程遠いものでした。本土で暮らす我々にはまるで理解し難いことですが、沖縄本島にある米軍基地の数は日本全体の数の70%を越えるそうです。騒音被害だけではなく米軍兵士とのトラブルも絶えなかったこの期間どれほどの苦難を強いられたことでしょう。現地で暮らす人たち以外に理解することは難しいことだと思います。47都道府県には当然それぞれに事情はあるでしょうが、最低条件だけでも共有し合うべきだと考えます。沖縄の経済指数が本土の75%というのは決して平等とは言えません。ましてウクライナ戦争が勃発し、東アジアも決して他人事とは思えない中、沖縄は最も重要な拠点になるとすれば私たちももっと真剣に考えるべきだと思います。国内最大の観光地ではありますが、有事の際には本土を守る最前線基地になることは間違いありません。第2次大戦の際にも沖縄決戦の場になり、本土の防波堤になった沖縄を決して同じ同じ目に遭わせてはならないし、本土の我々ももっともっと沖縄に関心を寄せるべきだと強く感じる50年目の日でした。